2018年7月4日水曜日

2018年7月4日(水)

高校の教師をしています。採用同期が校長になる年齢なのですが、クラス担任をしています。若い頃に勤めた学校で、問題を起こした生徒に指導を申し渡す校長の姿を見て、その子の普段の姿を知らないで諭すなんて自分にはできない、管理職になりたくないと思いました。それでも同い年が偉くなっていくと心穏やかじゃなくなるのかなと不安に感じていましたが、全く大丈夫でした。

さて、今日の水曜日、昼休みにクラスの女の子のひとりが不調を訴え、保健室で休ませながら話を聞きました。明日、体位測定が予定されていて、彼女は保健委員として準備や記録の仕事を頼まれています。その役割がちゃんとこなせるかどうか不安になって身体症状が出てしまったようです。真面目すぎですよね。この話を聞いて、自分のことを思い出しました。

小学校6年生の時、クラスの代表が集まる委員会があって、そこで、何が何だかわからないままに児童会長に選出されてしまいました。その後の会議で司会をさせられ、話し合いに時間がかかり、係の先生に叱られました。また、家が火事になった児童がいて、学校で募金をして、それを届ける時に先生に同行しました何をしていいかわからないままに、ただ言われたことだけをしていました。子供なりに不本意に感じていました。もうこりごりだと思い、中学生になってからは、学級委員以上の役割は、固辞しました。

久しく忘れていた嫌な思い出ですが、今思ってみると、偉くなりたくない気持ちは、この時の経験から生まれたのかもしれません。逆に、もっと前からあったから、嫌な経験になったのでしょうか。いずれにしても校長先生の説諭を聞いて生まれた気持ちじゃなかったのかな、と、初めて気づいた水曜日のきょうでした。

具合が悪くなった彼女にも自分の思い出を話しました。彼女は昼休みを保健室で休み、午後の授業に戻ることができました。

【筆名:凡人53号 年齢:56 都道府県:茨城】

2018年6月27日水曜日

2018年6月27日(水)


To 誰か様

寒くなって来ました。こちらはうっすらと雪が積りました。体調崩されていませんか?
実は私 昨年までの、しばらくの間、年賀状が出せずにいました。
いただいた方には「寒中見舞」を送り、あまり晴れがましい文章もなく返していました。

東日本大震災の時、私の家族や家には、大した被害は無かったものの、知人友人の上には悲しい出来事が振りかかりました。時間がたつにつれ、聞こえて来る数々の不幸に、心の持っていきどころが見つからず、不幸を共有しない自分の立場に後ろめたさを感じる程でした。それくらいひどい有り様だったんです、あの震災は。
「明けましておめでとう」なんて まるで絵空事の様に思えて、その後しばらく、年賀状は出せずにいたんです。たぶん悲しすぎて、受け止められず、罪悪感ににげていたんです。でもある絵を見て考え方が変わりました。らくがきみたいな絵です。
「日本」と「外国」の2枚にわかれていて、「日本」と書いてある方の絵は雨の中傘を持っているのに、友達が持っていないと傘をとじて皆で雨にぬれる「絆」と言う絵。
「外国」と書いてある絵は、傘の中に一人でも多くの友達を入れようと努力する「絆」と言う絵。
そうですよね。傘があるんだったら、その中に友人を迎え入れなきゃ…

「生きて新らしい年を迎える事の幸せ。
 年賀状を送る相手も 生きて迎えてくれた事への喜び
 なんて、めでたい事なんだろう。なんて幸せな事なんだろう
 みんながもっと幸せになりますように。」

これが年賀状の心ですよね。口先のおめでとうでも何でもない日本人の心です。
今年も書きます。私の人生に関わって下さった方々へ、感謝と喜びとそれが出来る幸せをかみしめながら、そんな事を思いながら過ごした水曜日。

【筆名:コタママ 年齢:55歳 都道府県:宮城】

2018年6月20日水曜日

2018年6月20日(水)


こんばんは。
今は夜の古本屋さんから書いています。
水曜日郵便局のある鮫ヶ浦の水曜日ポストは、水曜日になると、おそらく誰もいないところでひっそりとあかりを灯しているそうです。
ここもそんな気分です。

人は、何にも無くなったとき、どうするんでしょうか。
震災の時、何にもなくなってしまって(自分の持っていたもの、電気や水道のライフライン)自分で選んだのではない食べ物はあって。
さて どうしたんだったか。

ちかごろ、震災のあと、なくなったものを必死にとりもどすことをした、という話を、今まで何人かの方から聞いたことを思いだした。
昨日会った方も、そんなことを言っていた。
私はとりもどそうと思わなかった。ただむなしい気分だけただよっていて、今も気がつけばとりもどすわけでもなく、新しいものを見つけだすでもない、ぼんやりだな、とはっきり思った。

だまってじっと立ちどまってみようかなと思った
水曜日の夜でした。

【筆名:猫マル 年齢:46 都道府県:宮城】

2018年6月13日水曜日

2018年6月13日(水)

曇り、風が冷たくて寒い女川町に行ってきた。
千葉から来た親せきのおじさんに会うため。おじさんはお仕事で来ていた。
夜中に酔っぱらって電話をかけてきた、夕べ言われた一言にハッとした。
「お前は何がしたいんだ?」
「震災復興なの?」
「結婚はしないの?」。。。
いやいや、両立したい。結婚して子供も産みたい。仕事もほどほどにしたい。地元に住み続けたい。独立したい。市民活動も続けたい!!!
おじさんはいつもポイントポイントで励ましてくれる。
5年前に祖母が亡くなったときも。
そんなおじさんの存在や言葉がありがたく、染みる。
「オレは何もしてあげられてない」と言ったけど、そんなことは決してない。
いつも導いてくれる。
お昼に食べたサンマ定食おいしかった。2人でランチ。ごちそうになってしまった。
次は東京に行ってお酒を飲む約束をした。
それまで私はいくつか、ひとつでも願いを叶えたい!
よしっ、やることは決まった。おじさん、ありがとう。
よんでくれたあなたもありがとう。感謝いたします。
おやすみなさい。

【筆名:めぐみん 年齢:38 都道府県:宮城】

2018年6月6日水曜日

2018年6月6日(水)

僕はゲームが好きな普通の高校生です。
今は春休みなので、今日の朝もゲームをしていました。ゲームをしていると、台所で母と妹がケンカを始めました。反抗期にありそうな、よくあるケンカです。僕は楽しくゲームをしている所を朝からうるさくされて、とても不快でした。それに、全然話し合って解決させる気もなくうんざりでした。(まあケンカってそういうものなのでしょうけど。)
静かにしてほしい、僕はカッとなって二人に怒ってしまいました。怒ったことにはそこまで後悔していません。でもその時に、僕はゲームのコントローラーを床に叩きつけてしまいました。そのせいでコントローラーは壊れました。今考えれば相当馬鹿らしい事です。自業自得ですけど、相当ショックでした。コントローラーが壊れた事もですが、何よりあの時コントローラーを叩きつけることによって怒りを表そうとした自分に失望しました。
僕はアドラー心理学の本の「嫌われる勇気」を読んだ事があります。僕はその本で「怒りとは人を支配するための道具である」ということを学びました。つまり、怒りはコントロールできるという事だと思います。僕はそれを知っていたから余計にショックでした。「怒るにしても何か他の方法は無かったのか?」と後悔しています。あの時僕はどうするべきだったのでしょうか。

重い話をしてごめんなさい。でも気持ちの整理がついて落ちつきました。聞いてくれてありがとう。

あなたには楽しい水曜日が訪れますように。

【筆名:みかん 年齢:16 都道府県:兵庫】

2018年5月30日水曜日

2018年5月30日(水)

こんにちは。
水曜日郵便局のある宮戸には、ちょっと切ない思い出があります。
幼稚園か小学校低学年の頃、叔母に連れられて、初めて宮戸に行った私は、叔母の用足しの間、一人で車で待つように言われました。
夏で暑いこともあって、車から外に出たところ、道端にしゃがんで、一人で遊んでいる黒人の女の子を見つけました。初めて見た外人さん、しかも肌が黒くて、目がキラキラした可愛い女の子に、ドキドキしながら近付いて行き、年が近そうなこともあって、いつの間にか一緒に遊んでいました。「言葉が通じない」と子供ながらにわかっていたのか、身ぶり手ぶりで、お互いに遊びの説明をしながら、夢中になって、呼ばれるまで遊んでいました。名残惜しく別れたあとも、その女の子のことはずっと覚えていました。遊んでから何年かのち、叔母にその時の思い出話をしたら、叔母は笑いながら「あの子は日本人。宮戸の子だよ。日に焼けて真っ黒になっていただけだよ」と言いました。でも、私が身ぶり手ぶりで接していても、彼女も一言も声を出すことなく、身ぶりでこたえてくれたのです。私に合わせてくれたのでしょうか?だとしたら、何て優しい子だったのでしょうか。あの日から何十年と経ち、あの子はどういう大人になったんだろうと、気になる私です。元気でいるといいなあ。あれは、宮戸のどの浜だったのか・・・

【筆名:たらん 年齢:56 都道府県:宮城】

2018年5月23日水曜日

2018年5月23日(水)

こんにちは。

今日、本当に久しぶりに、以前勤めていた会社のある街へ行きました。
30年前、上京して初めて勤めた会社です。最寄りの駅も、街の様子もすっかり変わっていて、当時を思い出させるものは何もありませんでした。
勤めていた会社は、5階建てのビルで、当時は全てのフロアを会社で使っていましたが、今は3階以上はよその会社が入っているようでした。そこにも、当時の面影を探すことはできませんでしたが、なぜか、会社の前に立っていたら「懐かしいなあ」と言っていました。
よくまあ、世間知らずの田舎育ちの私が、怖がりもせず、1人でこんな都会に出て来たよなあ、と思いました。どうしてもやりたいことがあって、両親の反対を押し切っての上京でした。
若いというのはすごいものだなあと思います。うちの息子も昨春、自分の道を見つけて、何のためらいもなくポンと札幌に飛んで行ってしまいました。若い人には前しか見えない。
後ろをふり返ってばかりいるのは、私のように年を重ねた者だけですよね。
帰宅してから気づきました。今日、3月14日は、ちょうど30年前、私が初出勤した日でした。30年後の同じ日に、あの会社の前に自分が立っていることなんて、当時、全く想像もしませんでした。
すっかり忘れていた自分の原点に戻った気がしました。

あなたの明日が良い日でありますように。

【筆名:らく 年齢:53 都道府県:埼玉】