2018年6月27日水曜日

2018年6月27日(水)


To 誰か様

寒くなって来ました。こちらはうっすらと雪が積りました。体調崩されていませんか?
実は私 昨年までの、しばらくの間、年賀状が出せずにいました。
いただいた方には「寒中見舞」を送り、あまり晴れがましい文章もなく返していました。

東日本大震災の時、私の家族や家には、大した被害は無かったものの、知人友人の上には悲しい出来事が振りかかりました。時間がたつにつれ、聞こえて来る数々の不幸に、心の持っていきどころが見つからず、不幸を共有しない自分の立場に後ろめたさを感じる程でした。それくらいひどい有り様だったんです、あの震災は。
「明けましておめでとう」なんて まるで絵空事の様に思えて、その後しばらく、年賀状は出せずにいたんです。たぶん悲しすぎて、受け止められず、罪悪感ににげていたんです。でもある絵を見て考え方が変わりました。らくがきみたいな絵です。
「日本」と「外国」の2枚にわかれていて、「日本」と書いてある方の絵は雨の中傘を持っているのに、友達が持っていないと傘をとじて皆で雨にぬれる「絆」と言う絵。
「外国」と書いてある絵は、傘の中に一人でも多くの友達を入れようと努力する「絆」と言う絵。
そうですよね。傘があるんだったら、その中に友人を迎え入れなきゃ…

「生きて新らしい年を迎える事の幸せ。
 年賀状を送る相手も 生きて迎えてくれた事への喜び
 なんて、めでたい事なんだろう。なんて幸せな事なんだろう
 みんながもっと幸せになりますように。」

これが年賀状の心ですよね。口先のおめでとうでも何でもない日本人の心です。
今年も書きます。私の人生に関わって下さった方々へ、感謝と喜びとそれが出来る幸せをかみしめながら、そんな事を思いながら過ごした水曜日。

【筆名:コタママ 年齢:55歳 都道府県:宮城】

2018年6月20日水曜日

2018年6月20日(水)


こんばんは。
今は夜の古本屋さんから書いています。
水曜日郵便局のある鮫ヶ浦の水曜日ポストは、水曜日になると、おそらく誰もいないところでひっそりとあかりを灯しているそうです。
ここもそんな気分です。

人は、何にも無くなったとき、どうするんでしょうか。
震災の時、何にもなくなってしまって(自分の持っていたもの、電気や水道のライフライン)自分で選んだのではない食べ物はあって。
さて どうしたんだったか。

ちかごろ、震災のあと、なくなったものを必死にとりもどすことをした、という話を、今まで何人かの方から聞いたことを思いだした。
昨日会った方も、そんなことを言っていた。
私はとりもどそうと思わなかった。ただむなしい気分だけただよっていて、今も気がつけばとりもどすわけでもなく、新しいものを見つけだすでもない、ぼんやりだな、とはっきり思った。

だまってじっと立ちどまってみようかなと思った
水曜日の夜でした。

【筆名:猫マル 年齢:46 都道府県:宮城】

2018年6月13日水曜日

2018年6月13日(水)

曇り、風が冷たくて寒い女川町に行ってきた。
千葉から来た親せきのおじさんに会うため。おじさんはお仕事で来ていた。
夜中に酔っぱらって電話をかけてきた、夕べ言われた一言にハッとした。
「お前は何がしたいんだ?」
「震災復興なの?」
「結婚はしないの?」。。。
いやいや、両立したい。結婚して子供も産みたい。仕事もほどほどにしたい。地元に住み続けたい。独立したい。市民活動も続けたい!!!
おじさんはいつもポイントポイントで励ましてくれる。
5年前に祖母が亡くなったときも。
そんなおじさんの存在や言葉がありがたく、染みる。
「オレは何もしてあげられてない」と言ったけど、そんなことは決してない。
いつも導いてくれる。
お昼に食べたサンマ定食おいしかった。2人でランチ。ごちそうになってしまった。
次は東京に行ってお酒を飲む約束をした。
それまで私はいくつか、ひとつでも願いを叶えたい!
よしっ、やることは決まった。おじさん、ありがとう。
よんでくれたあなたもありがとう。感謝いたします。
おやすみなさい。

【筆名:めぐみん 年齢:38 都道府県:宮城】

2018年6月6日水曜日

2018年6月6日(水)

僕はゲームが好きな普通の高校生です。
今は春休みなので、今日の朝もゲームをしていました。ゲームをしていると、台所で母と妹がケンカを始めました。反抗期にありそうな、よくあるケンカです。僕は楽しくゲームをしている所を朝からうるさくされて、とても不快でした。それに、全然話し合って解決させる気もなくうんざりでした。(まあケンカってそういうものなのでしょうけど。)
静かにしてほしい、僕はカッとなって二人に怒ってしまいました。怒ったことにはそこまで後悔していません。でもその時に、僕はゲームのコントローラーを床に叩きつけてしまいました。そのせいでコントローラーは壊れました。今考えれば相当馬鹿らしい事です。自業自得ですけど、相当ショックでした。コントローラーが壊れた事もですが、何よりあの時コントローラーを叩きつけることによって怒りを表そうとした自分に失望しました。
僕はアドラー心理学の本の「嫌われる勇気」を読んだ事があります。僕はその本で「怒りとは人を支配するための道具である」ということを学びました。つまり、怒りはコントロールできるという事だと思います。僕はそれを知っていたから余計にショックでした。「怒るにしても何か他の方法は無かったのか?」と後悔しています。あの時僕はどうするべきだったのでしょうか。

重い話をしてごめんなさい。でも気持ちの整理がついて落ちつきました。聞いてくれてありがとう。

あなたには楽しい水曜日が訪れますように。

【筆名:みかん 年齢:16 都道府県:兵庫】