こんにちは。そして多分、初めまして。あんなに暑かった夏が終わり、次の季節がやってきています。
わたしは今、アメリカにいますが、誰の元へ届くかわからない手紙をどうして書こうと思ったのか、考えています。
どうして「鮫ヶ浦水曜日郵便局」のウェブサイトを見つけたとき、当然のように手紙を書くことを決めていたのか。
多分ずっと、誰かに受け取ってほしい手紙が心の中にあったのだと思います。でもそれは、誰に宛てたらよいのかわからない手紙だし、現実には誰にも書けない手紙です。わたしが書きたかったことは、32年の人生で一度だけ出会った恋のことです。
25歳で出会って、3回目のデートで告白を受け取った帰り道は、多分浮かれていたのでしょう。2人でうっかり反対方向の特急電車に乗ってしまって大慌てをしました。それまで誰にも言えなかったことや共有できなかった人生の出来事、気持ちをその人とシェアしました。どこへ出かけても、どれだけ一緒にいても楽しくて、ホッとしていられる一番の友人でもありました。こんな人がいたなんて。出会えたなんて。それまで1人だった時間に彼がいて、彼が1人だった時間に私がいる、彼とわたし“2人”でいることの幸せに救われました。
だけど、どこかで微かに気づいていました。彼の名前がいつまでも口に馴染まないこと。心の底から悲しいことは打ち明けられないこと。2人の将来を相談しながらも、大学院留学への憧れが膨らんでいたこと。わたしがもっとがんばれたら良かったのかもしれません。5年が経つうちに、その微かなことがどんどん確かになって、わたしは深呼吸ができなくなっていました。予感が現実になる少し前に、髪を30cm切りました。肩が軽くなって、心が、自分を好きでいたい、と鳴りました。
帰り道、わたしは自分を選ぶ自分を受け入れたのかもしれません。
その時わたしは30歳。彼は言いました。「何歳だと思っているの。」
母は泣いて、父は言いました。「またいい人に会えるといいね。」
出会わないだろう、と思いました。わたしは、彼との“2人”を手放したのです。それでも、やっと息を深く吸い込めて、“あぁ、良かった。”と思いました。同時に、この先の“1人”を考えると胸が疼くのは、彼がかけがえのない時間をくれていたことの何よりの証拠です。ありがとう、は伝えたけれど、2年経ったいま、やっぱりもう一度、ありがとう、を言いたいのです。
あの頃に戻りたいとは思いません。だけど、素敵な時間をありがとう。お元気で。お幸せに。わたしのことをすっかり忘れてくれていますように。
読んでくださっているあなたがどうか、1人ぼっちではありませんように。もしも、1人ぼっちでも、わたしが幸せなように、どうかあなたも幸せでありますように。願いを込めます。
受け取って下さって、ありがとう。
【筆名:まよなか 年齢:32歳 都道府県:アメリカ】
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