2018年10月3日水曜日

2018年10月3日(水)

私の仕事は路線バスの運転手です。
勤務は曜日に関係なく5勤1体制で今日の水曜日は勤務日でした。
東日本大震災から今日で7年と4か月・・・私は毎月11日、震災を振り返って追悼の日と決めています。

地震発生時はJR辻堂駅に着車し慶応大学行の乗客を乗せていました。
発車1分前になりエンジンを掛けた直後にバスがゆれ始めました。
最初は風でゆれているのかと思いましたが、次第にゆれが激しくなり、周囲のビルから多くの人が路上に飛び出す光景を見て地震だと気づきました。それから約一週間は首都圏の鉄道が殆ど不通で、人々はバスに殺到しました。
夜は計画停電で信号も止まり真っ暗闇・・・昼は一般車のGS給油待ち渋滞で通常3〜4分で通過する区間が3時間以上かかることも常で運転も一苦労でした。

実は、鮫ヶ浦水曜日郵便局がある宮戸島は父の実家があったところです。その集落は大津波で壊滅しました。
宮戸島の住民は殆どが事前に避難して無事でしたが、本土(野蒜地区)や石巻市内に通勤していた親族が犠牲になりました。
しかし、多くの人々が頼りにしているバスの運転手なので仕事を休むわけにもいかず、家屋が無事だった親族の所に父を待機させ、休日前日の勤務終了後に横浜から車で駆けつけ、父と一緒に遺体安置所で不明の親族を探し続けました。

7年経って、被災した親族も私の気持ちもやっと少しは落ち着きました。
壊滅した集落は整地され作業用倉庫が立ち並び、住居は高台に移転しました。
今春の墓参の際にはトンネルを通って鮫ヶ浦水曜日郵便局を見てきました。

バスのお客さんも普段どおりに戻っています。
平穏な日々が続くことを願いながら今日も安全運転に努めました。

【筆名:濱伝心 年齢:52歳 都道府県:神奈川】

1 件のコメント:

  1. もう7年なのですね…

    僕は30年間兵庫県住みなのですが、幼稚園卒園時に阪神・淡路大震災を経験しました。

    なので少しばかりですがお気持ち、分かります。

    僕は毎年3.11の日に忘れずに動画を見て、黙祷をし、福島の友達に連絡をするくらいですが、必ず行っていますー。

    忘れない。それくらいしか僕には出来ませんが、必ず毎年僕が生きている間は続けて行こうと思っています。

    長文失礼致しました。

    そして今日また5通ほど鮫ヶ浦水曜日郵便局に手紙を出したので、帰ってくるのがとても楽しみですm(_ _)m

    それでは、お元気でー。

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