昨年3人目の孫が誕生した。他の2人は小学生で北海道の北のほうに住んでいるので年に数回会う程度であるが今度は同じ市内に住んでいる。長男夫婦は共働きなので保育園の迎えに協力することになった。私も現在仕事をしているが比較的夕方の時間は自由が利くので快く引き受けた。保育園の送迎はそれこそ30数年前のことで懐かしい。だが長男の子なので緊張感もひとしおで責任感も同時に感じるものである。それに毎日孫と会ってるわけでもないし、まだ10ヶ月の男の子。慣らし保育直後で嫁が迎えのときまだ泣きじゃくっているというではないか。祖父の私が迎えのとき泣いていたらどうしようとか、真新しいチャイルドシートに載せて我が家まで約30分の道のり機嫌よく過ごせるか、さらに初めて保母さんに挨拶でさえなんだか恥ずかしい。不安になってくる。病院の事務長の私は昼ごろから迎えのシミュレーションばかり考えていた。
私は大学時代保育園のアルバイトをしていた。将来保父になろうということではなく子供が好きなだけなので、そして妻が保育士として働いていた影響もあり、だから3人の子供たちも産休明け後から保育園生活だったので慣れてはいるつもりなのだが63歳の私は息子夫婦の期待に答えられるだろうか?とプレッシャーもあるのだろう。
当日、迎えの日。保育園の玄関から保母さんの事務室に向かってなんだか緊張しながらも『俊太郎の祖父ですが迎えに来ました!』緊張してるのになぜか大声になってしまったことがかえってよかったのか促されて保育室に入った時はなんだか気持ちがすわっていたようだ。0歳児室の数人の子がほとんど泣いていたのだがその真ん中でやはり俊太郎が泣いていた。瞬間的に『あー、泣いてる!どうしよう!!』でも同時に俊太郎の視線を感じたのだ。まるで『ジーちゃん、助けてー!』と訴えてるような顔を見たとき『しゅーん!』と呼び抱っこした。涙目の俊太郎が少し安心したように笑ってくれた。その後チャイルドシートへ移すのだがその前に『たかーい、たかーいしたり、いないいないばー!』とあやしてから移した。誰も見てないとばかりにジーさんの大声と孫の笑い。しかし、運転席に戻ろうとしたら同じく迎えの若いお母さんから暖かな微笑みをいただいた。恥ずかしいと思うよりなんだか私も安心した。帰りはジーさんは大きな声で歌い続け、後部座席の孫が不安にならないように赤信号のときは手を差し伸べて孫が握り返すのを確認しながら、必死に歌い続けた。本当に必死に歌った。
帰宅して1時間後仕事を終えた妻『おばあさん』が帰ってきて『どうだった?』に私はなんのなんのと答えたもの、孫とのひとときは2人だけの秘密である。気がつけば私の足元にハイハイの孫が寄り添ってきて私を見上げている。なんてかわいいのか!保育園の迎えで得た孫との絆である。今日は水曜日の夕方。
【筆名:不明 年齢:63 都道府県:北海道】
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