2017年9月27日水曜日

2017年9月27日(水)

水曜日になった瞬間、私は筆を持って顔料が油に溶かれたものをその筆先に含ませて目の前の300号の画面に置こうとしているところでした。私は絵を描きます。決してうまいわけではないけど、ただ自分の今この世界で生きるということを真剣に、緊張感とメリハリを持っていく抜こうとしたときに、とても必要だから描いているということを確信している。
ひと段落してから、作業場を後にしてご飯を作って食べました。と言っても夜中なので、旬のはすがらのお浸しなどを。体重が増えたのでお酒も少し。オンとオフ。メリハリとバランス、これは、生きていくうえで絶対になくしてはいけないことだと強く、今日の水曜日も思いました。
で、なぜ絵を描いていたかというと、個展が近いからです。制作を毎日少しずつでも、線一本でもいいから描き続けろと11年前に画家の故イソザキイセヲ氏に言われ、その通り!と思ったのですが、それがなかなかできない。個展や展示がある。だから、それに向けて作る。描かなければいけない。
でも、その描くということがとても、自然に、ただそこに種子から木の芽が芽吹くように絵も立ち現れるような、そんな現象の在り方をイメージして、水曜日から木曜日に代わるこのいまの瞬間も、ほら、筆を持っています。
あ、今日は新月か。海いきたい。 


筆名:加藤笑平 年齢:34 都道府県:福岡

2017年9月20日水曜日

2017年9月20日(水)

赤崎水曜日郵便局のポストマンを務めていた私にとってついこの間まで火曜日は「水曜日の前の日」だった。
今水曜日は「火曜日の次の日」。ひたすら眠る日。海の底に沈んでいくように、こんこんと眠る日。うみはひろいな、おおきいな。


筆名:玉井夕海 年齢:40歳 都道府県:東京

2017年9月13日水曜日

2017年9月13日(水)

旧赤崎小学校の横に腰を下ろし、沖に浮かぶ裸島を眺めている。「その先」を照らし続けてきた灯台ポストがなくなり、元の姿に戻った裸島からは、寂しさよりも懐かしさが伝わってきた。
思えば、赤崎水曜日郵便局の開局と同時に休館日である水曜日の静けさは吹き飛んだ。電話での問い合わせ、次々に届く水曜日の物語。多くの人々の水曜日に心を揺さぶられ、思いを馳せた。
目の前で黒い影が跳ねた。打ち寄せる波、遠くを走る自動車、沖を目指す船、すべての音が心に静かに響く。
今、この光景を大胆に取り込んだアートプロジェクトが開幕を迎えつつある。局員を務めた住民はホテルマンとなり、過去と未来を結ぶ新たな記憶を紡ぎだそうとしている。

筆名:楠本智郎 年齢:51歳 都道府県:熊本 

2017年9月6日水曜日

2017年9月6日(水)

地下鉄の改札から出て、地上へ向かうと、出口のところで数名が立ち往生していた。
突然の雨のようだ。通行人が雨に濡れながら走っている。
傘を持っていなかったので、意を決して、自宅まで走ることにした。
自宅の近くにバックドアが開いた状態の白いバンが止まっていて、3人の男女が立っていた。
車の荷室には、大きな箱が設置してあり、男性が、黒い塊の様なものをその箱に入れようとしていた。3人も傘をささず雨に濡れていた。
通り過ぎる瞬間、箱に入れられようとしているものが、大きな犬だと分かった。
近所の黒い大きな犬が死んだんだ。よく通行人を黙って見つめている犬だった。
自宅に入る前にもう一度、振り返ると、飼い主らしき女性が泣いていた。

赤崎水曜日郵便局が閉局した20163月最後の水曜日。
僕は、いつものように八代駅から、おれんじ鉄道で津奈木町へと出勤するために向かった。
途中の停車駅のホームに、一匹の犬が座って電車を見ていた。
トンネルを抜けると線路沿いに咲く桜が見えてきた。
津奈木町に到着すると雨が降っていた。
夕方になると雨は上がって赤崎水曜日郵便局の前に広がる海に金色の道が見えた。
そんなことを思い出した水曜日。

筆名:遠山昇司 年齢:33 都道府県:東京