2018年10月31日水曜日

2018年10月31日(水)

この手紙を受け取った人にとって、9月5日はどんな水曜日だったでしょうか。
私にとっては、他の日とは違う、少し特別な一日でした。
会社の繁忙期が過ぎ、仕事も落ちついてきていたので、9月6日、7日は事前に有給休暇の申請をしていました。
そのためか、水曜日は仕事中も半分お休みモードで、「久しぶりの長い休みだから、どこか旅行でもしに行こうかな」などと呑気なことを考えながら仕事を終え、家路についたのでした。
そんな矢先、実家の母から「お父さんが倒れた」という連絡がありました。そんなことがそろそろあってもおかしくない年齢なので、青天のへきれきは言いすぎかもしれませんが、私にはそれくらいの衝撃でした。
「結婚」「介護」などの現実的な話題は、気楽な独身生活を続けているとまだ先のことのように思えて無意識に避けてきたのですが、急に現実感を帯びてきたような気がして、少し暗い気持ちになりました。
でも、今までを振り返ってみると、成人して以降は両親との交流もあまりなく、自分中心の生活をしてきて親孝行の一つもしていないことに気がつきました。これは神様が私にくれた(ひょっとすると最後の)親孝行のチャンスなんだと前向きに捉え、とりあえず実家に顔を出して、今後のことも含めいろいろ話したいと思いました。
そして、父の体調が良くなったら、一緒に家族旅行に行くというのも悪くないかなと思いました。
長くなりましたが、私にとって9月5日はそんな水曜日でした。

【筆名:みや 年齢:28歳 都道府県:愛知】

2018年10月24日水曜日

2018年10月24日(水)

誰かさんへ

私は小さな田舎町に住む20歳です。来年の1月に成人式があります。
本当に田舎なので、私の住む地区の小学校は全校でも80人いません。
私の学年は15人でした。たったこれだけの人数なので6年間同じクラスです。
中学もみんな同じでした。たとえ嫌でも最低9年間は同じ場所で共に成長してきた15人。
その中でも1人だけ、幼稚園に入る前からの付き合いの人がいました。S君です。
S君と私は互いに3つ上の兄がいて、兄同士とても仲が良かったので妹・弟は兄達について行って一緒に遊んだりしました。特別仲が良かったわけではありませんが、10年以上の付き合いでした。
中学を卒業してからは全く関わりが無くなりましたが、ゲームが好きなS君は変わらずゲームをやっていて、優しく穏やかな性格だから友達と仲良く過ごしているのだろう、そう思っていました。

先日そのS君が亡くなりました。
お通夜に参列し、眠っているようなS君を見てもまだ信じられません。
小さい頃の記憶がどんどん頭に浮かんできます。人が亡くなることがこんなにも悲しいことなのか、気持ちの整理がまだつきません。
川での不慮の事故でした。もう誰にも川遊びなんてしないでほしい。成人式でみんなとあえることを何の疑いもなく思っていたのに。
S君はなぜこんなに私が悲しんでいるのか疑問に思っているかもしれません。特別な付き合いがなくても、私が一番長い付き合いだからね。いつ、どんな理由で一生会えなくなるか分からないことを身をもって感じました。

これを読むあなたは何歳ですか?たとえ何歳であっても友達にたくさん会ってください。会わなかった後悔はしても、会った後悔はないはずです。
人は生まれたからには死ぬことだけは保証されています。いついなくなるかなんて、誰にも分かりません。今のうちにたくさんの人と会って過去を懐かしんでください。別れる時、思い出がたくさんあると辛いですが、会わないでいたことよりはマシです。絶対に会ってくださいね。
同級生のために喪服なんて着たくなかったな。

悲しい話でごめんなさい。
これからは前を向きます。

【筆名:にしき。 年齢:20歳 都道府県:埼玉】

2018年10月17日水曜日

2018年10月17日(水)

今日も暑い日でした。この手紙を読んで下さっている「アナタ」。どんなお方なんでしょうか。
お身体は大丈夫ですか?今日はどんな一日だったのでしょう。
私はいわゆる南国とも言われる土地に住んでいます。離婚して、去年この地の実家に帰って来て母親と2人暮らしています。
と言っても私は人生のほとんどをこの家で過ごしてきたので、結果、結婚は短い「ホームステイ」のようなものに終わってしまいましたが。
今日も暑い日でした。毎日くたくたになって仕事から家に帰ります。いつもは真っすぐに帰宅するけれど今日はアフター5にチェロの演奏を聴きに行ってきました。
疲れたなぁ... チケット取るんじゃなかった... 等と思っていたのに、演奏が始まるとこのぜいたくで素敵なひとときに感動していました。何も考えず、日常の悩み、立場、現実何もかも忘れてチェロの音色だけに心かたむける...
クラシックにも精通していないけれどこういう時間を過ごせるって大事ですね。また何か演奏を聴きにいってみたいなと思いながら今日はそのまま帰宅しました。
この手紙が初めての第一通目になるので、まだよく勝手がわかっていません。一生懸命考えながら書いています。
見ず知らずのアナタ。会うこともないかもしれないアナタ。私の一日を読んで下さってありがとうございます。
私の住んでいるのは森に囲まれた田舎なので、今の時期は日暮れ前になるとヒグラシがうるさい程に鳴いています。夏がもう終わっていくような、何だか寂しい気持ちにさせられます。これからが夏本番なのにね。そして夜になると虫とカエルの鳴き声。
実をいうとちょっと淋しいんです。しあわせなハズなのに自分が何を求めているのか実は子供の頃から30才になった今でもずっと分からない。これからも「分からない」まま生きてゆくのかな... と考えると恐ろしい程。
「アナタ」はしあわせですか?愛する人はいますか?笑って過ごしていますか?
... さて明日はまたお仕事。疲れるけれど明るい未来のため(!)がんばります ◠‿◠
「アナタ」もお身体に気をつけて楽しい日々を過ごして下さいね。

マイ・ファースト・レター どうもありがとうございました。

【筆名:せん 年齢:30歳 都道府県:鹿児島】

2018年10月10日水曜日

2018年10月10日(水)

これは、名字が変わって初めて書く手紙です。
今日は2週間前に検査した胸のしこりの検査結果を聞きに病院へ行きました。
知り合いの女性が、ご自身のがんの体験を話して下さったのがきっかけで、放置していた会社の検診の「再検査」に行ったところ、さらに細胞をとって検査することになったのです。
結果は良性。ホッとしました。
病院で待つ間、自分のためではなく、夫となってくれたその人のために病気になりたくない、と思いました。

午後から出勤して、帰りは40分バスに揺られます。その間、
「今バスに乗ったよ」
「ボディソープ買って帰るね」
「小さいほうのゴミ袋もお願い」
日常のメールのやりとりをし、今晩のごはんは何にしようか、と考えていました。
3ヶ月前から一緒に暮らし始めてからの日課です。
料理がそれほど得意でもない私には悩ましい日課ですが、今日はいつにも増して幸せなことだと感じながら帰ってきました。

日常が幸せと感じられることこそ本当に幸せだと思います。でもすぐに忘れてしまうのが人間... 忘れないように、心に刻むようにこの手紙を書いています。
この手紙を受けとって下さったあなたは今幸せですか?

幸せでいらっしゃることを願ってペンを置きます。

【筆名:ロード 年齢:42歳 都道府県:愛知】

2018年10月3日水曜日

2018年10月3日(水)

私の仕事は路線バスの運転手です。
勤務は曜日に関係なく5勤1体制で今日の水曜日は勤務日でした。
東日本大震災から今日で7年と4か月・・・私は毎月11日、震災を振り返って追悼の日と決めています。

地震発生時はJR辻堂駅に着車し慶応大学行の乗客を乗せていました。
発車1分前になりエンジンを掛けた直後にバスがゆれ始めました。
最初は風でゆれているのかと思いましたが、次第にゆれが激しくなり、周囲のビルから多くの人が路上に飛び出す光景を見て地震だと気づきました。それから約一週間は首都圏の鉄道が殆ど不通で、人々はバスに殺到しました。
夜は計画停電で信号も止まり真っ暗闇・・・昼は一般車のGS給油待ち渋滞で通常3〜4分で通過する区間が3時間以上かかることも常で運転も一苦労でした。

実は、鮫ヶ浦水曜日郵便局がある宮戸島は父の実家があったところです。その集落は大津波で壊滅しました。
宮戸島の住民は殆どが事前に避難して無事でしたが、本土(野蒜地区)や石巻市内に通勤していた親族が犠牲になりました。
しかし、多くの人々が頼りにしているバスの運転手なので仕事を休むわけにもいかず、家屋が無事だった親族の所に父を待機させ、休日前日の勤務終了後に横浜から車で駆けつけ、父と一緒に遺体安置所で不明の親族を探し続けました。

7年経って、被災した親族も私の気持ちもやっと少しは落ち着きました。
壊滅した集落は整地され作業用倉庫が立ち並び、住居は高台に移転しました。
今春の墓参の際にはトンネルを通って鮫ヶ浦水曜日郵便局を見てきました。

バスのお客さんも普段どおりに戻っています。
平穏な日々が続くことを願いながら今日も安全運転に努めました。

【筆名:濱伝心 年齢:52歳 都道府県:神奈川】