2018年8月29日水曜日

2018年8月29日(水)

こんにちは。今、北海道行きのフェリーを待ちながら手紙を書いています。
私の水曜日は、宮崎から日本一周中、何気ない旅の途中の水曜日です。
今週5/2に宮城県の松島を訪問しました。
十年振り2度目の訪問で、今回はガイドさんもお願いし歴史を学びながらゆっくりと回ることができました。
そして午後からは東松島へ。地図で気になっていた漢字の館というところを探していたのですが、
残念ながら震災前に閉館してしまっていたようです。
この辺は、まだ工事中の長い道路が続き、目につくのは積み上がったカキの殻と流木ばかり...。
そんな中ぽつんと、キレイなお花が咲き揃い、小さく耕された畑があるお家がありました。
畑を耕していたのは、この周りの集落では奥さんと2人だけになってしまったというとっても優しそうなおじさんでした。
おじさんは、快いペースで色々な事を教えてくれました。
当時の話も、すごく穏やかに決して暗くならないようにして下さるお姿にとても尊敬できる方だと感じ、
ほんの少しの間でしたが、気持ちが温かくなり、ずっとお話していたいくらいでした。
何でも、この辺りの語りべさんで、東松島の本(分かりやすく歴史や云われを説明)を作った方で、
もう一つ、この水曜日郵便局の事も教えて下さいました。
きっと、今日が水曜日じゃなかったら、おじさんと出会ってなかったら、この手紙を書くことはなかったでしょう。
HPにも、皆さんのあたたかい水曜日に触れ、読みふけってしまいました。
この先ずっと水曜日には今日のことを思い出し、幸せな気持ちになるのでしょう。
帰りに、お庭の入口にキレイなお花が供えられたたくさんのお地蔵さんに手を合わせると、遠くから「ありがとう!」と声がとんで来ました。
素敵な出逢いをありがとうございました。

拙い文を読んで下さる方に感謝。
幸せな水曜日を過ごせますように。

【筆名:夢叶 年齢:29歳 都道府県:宮崎】

2018年8月22日水曜日

2018年8月22日(水)

これから勇気を出す皆さんへ

豪雨被害にあわれた西日本のみなさん、大変でしたね。少しは元気を取り戻しましたか。
私たちも7年前、東日本大震災にあいました。
その時のことを思い出し、皆様の今の状況を思うと胸が苦しくなります。

でも、あの時から7年が過ぎ、やっと元気で人生を楽しむことができるまでになりました。
どうぞ皆様も元気を出し頑張って下さい。
きっと希望をもって前に進むと乗り越えられると思いますよ。

お身体にはくれぐれもお気を付けて下さい。

【筆名:潮風のフーコ 年齢:73歳 都道府県:宮城】

2018年8月15日水曜日

2018年8月15日(水)

お元気でお過ごしでしょうか。
台風の接近で湿度の高い風のあるざわついた水曜日です。
私は庭の片隅に小さな畑を作っていて、トマトと枝豆を植えています。1週間程前からトマトの実が赤く色づき、毎日中玉の品種なのですが10コぐらいが採れる様になりました。冷やして、まずはおやつに丸かじりします。

日本が戦争に敗れた夏、私は小学4年生で学童疎開地。敗戦は先生から告げられました。
その前に我家は空襲で丸焼け。その焼跡地にバラック小屋を建てて、中国から引き揚げてきた親類一家と一緒に住んでいました。焼跡の庭地だった所は全て畑地にし、芋、とうもろこし、ナス、トマト、色々植えていて、トマトはいつも私達子供のおやつでした。
草いきれの暑い通学路を通って帰宅すると一番に井戸端で顔を洗いトマトをまるかじり。食糧難で赤く熟すまで木に置くと夜に盗まれる、祖母が早目に採った少し熟れかけたトマトが井戸に冷やしてありました。以来、おやつのトマトは丸かじりなんです。今の様に甘いトマトではなかったけれど〝美味しかった!!〟トマトをまるかじりする度に、焼跡の暑い通学路も思い出す敗戦後の日本の風景。私の思い出の風景です。

お暑さいよいよ本番です。気をつけてお過ごし下さいます様。

【筆名:ふじばかま 年齢:83歳 都道府県:神奈川】

2018年8月8日水曜日

2018年8月8日(水)

初めまして。私のお手紙を読んで下さるあなたへ。
このお手紙が私の知らない、会った事のない人に届くんだなと思うと不思議で、
どこかとてもドキドキしています。
そして知らない人とお手紙でつながる事ができるって、うれしいです。

私は一年もまだたたない日に、今住んでいる所へ引っ越してきました。
仕事の都合でもなく、好きな場所へ行きたいからでもなく、家庭の都合で引っ越しなんて、
その日の朝起きた時でさえもする予定なんてなくて。

父を家に残して、母と2人で本当に唐突に家を出なくてはいけなくなりました。
もちろん引っ越し先なんて決まってなくて、そこから家を決めるのがとても大変で。
自分の好きな物、大切なもの、思い出、すべて残したまま、ほとんど身だけで。
そして少し時間がたって、両親は離婚しました。

私は好きなものがたくさんあって、元居た実家にも大切なものがたくさんありました。
服も、趣味の物も全て置いてきてしまって、
手元には何もないことをとても悲しんでなげいたし、悔しくも思いました。
何度も何度も取り戻したいと思いました。
今自分の元には大切な物は何もないじゃないかって思ったから。
家族の形が変わってしまった事。
父はもう居ない事。
思い出のたくさんつまった実家にはもう2度と戻れない事。
大切な物全て、もう手元には無い事。
色々な事が積み重なってたくさん泣いてしまったけど、
たくさんたくさん考えて、一番大切なものはそばにあるじゃないかって気付きました。
残してきた大切な物とひきかえに出来ないくらい大切な人です。
でも、ずっとそばに居ると、当たり前になってきて、
本当に大切なものが、大切な人が、大切だと気付かなくなってしまったりします。
私だって、母は以前から大切だったけど、
大切な物を全て無くした時はその事をなげくばかりで
そばに居てくれている事の大切さにはなかなか気付きませんでした。
もう気付いている人ももちろん居ると思います。
でも、大切な人が側に居てくれているって、当たり前じゃないです。
とても大切で、有り難い事ですね。
今でも母とは仲よしですが、ささいな事でケンカも沢山します。
でも前より優しくしたくなりました。
でも不安な事はまだまだあります。
仕事でつまずいて、人間関係ってむつかしー!!って叫びながら生きてます(笑)
それでも、帰った家はあたたかいです。

あなたの帰ったお家も、あたたかさで包まれていますように。
読んで下さって、ありがとうございました!🐾



【筆名:雪まなつ 年齢:26歳 都道府県:長野】

2018年8月1日水曜日

2018年8月1日(水)

いかがお過ごしですか。
今日は、昨夜のワールドカップ対コロンビア戦勝利で、大盛り上がりですね。
サッカーにはあまり興味の無い私も、この時ばかりはテレビ観戦しています。
そして、ワールドカップの時期になると、その大会毎の私自身の思い出が甦ってきます。
私の思い出巡りにどうかおつき合い下さい。

最初に思い出すのは、2002年日韓大会です。一人娘は小学5年でした。
熊本にベルギーチームが宿泊していたので、学校給食にベルギー料理が登場しました。
レシピも配布され、試しに作ってみました。『ビール煮込み』だったと記憶しています。

次は、2006年ドイツ大会。娘は中学3年でした。
自宅では、病院嫌いな夫が病いにふせっていました。末期ガンでした。
滅入る気持ちをワールドカップの熱気で奮い立たせていました。
しかし、大会開催中に看病むなしく天国へ旅立ちました。

この後しばらくは辛いことばかり続き、ドイツ大会は今でも重苦しく悲しいイメージがあります。

2010年、南アフリカ大会。娘が大学生になり、私も娘も一人暮らしになりました。
南アフリカの楽器『ブブゼラ』の音が印象的でした。
八方塞がりの中に少しだけ光が見えた頃です。

2014年、ブラジル大会。娘は志望していた会社に就職。私は縁あって再婚しました。
現在、穏やかな日を送っています。

そして2018年、ロシア大会開催期間中に、娘が相手を連れて結婚の挨拶に来ます。
嬉しさと寂しさが交錯しています。

ピンチとチャンスが繰り返すサッカーゲームのような私の人生です。
これから先、どんなワールドカップが待っているのでしょうか。

さて、まだまだ続くロシア大会。素晴らしいプレーを楽しみたいと思います。
それでは、暑くなりますが元気にお過ごしくださいませ。

【筆名:ぴぃちゃん 年齢:56 都道府県:熊本】