2018年3月28日水曜日

2018年3月28日(水)

趣味でドラムをたたいている。
初めてのバンドが中学生の時だから、やりはじめて40年近くなる。
腕の方は、上手くなるどころか練習もしないから下手になる一方ではあるが。
でもやってたお陰でたくさんのバンドに参加し、ライブもたくさん楽しんで、たくさんの仲間が出来た。
昨年末、中学時代の最初のバンドのメンバーでライブをした。勢い余って録音もした。
私個人にとって、CD録音は初めての経験だった。
録音は、時間とお金と妥協と練習が必要なことを学んだ。
ミキシングが終わり、CDが送られてきた。
自分自身のプレイには頭を抱えたくなるが、バンドの空気感が心地良かった。
曲の終盤のコーラスのところはボロッと涙がでてしまった。
音源として残ってしまう恥ずかしさもあるけど、CD、作ってもらってやっぱりうれしかった。
メンバー各々、歩んできた時、色々あったけど、集まってやれたこと、そして音楽に感謝!!
ありがとう

【筆名:ともちゃん 年齢:54 都道府県:宮城】

2018年3月21日水曜日

2018年3月21日(水)

こんにちは。ラジオをつけたら水曜日の郵便局の事が聞こえてきました。
私の水曜日は、51才の時に始めた散髪のお店でお客様を待っています。
今64才になりました。
主人の退職金をだまって使って始めたお店です。
結婚してからもずーっと顔剃と散髪をしていたからこそ出来たお店です。(主人のさんぱつ)
今も2週間で散髪、2日〜3日で顔剃をしてあげています。
お店は私の生きがいになりました。

【筆名:不明 年齢:64 都道府県:愛媛】

2018年3月14日水曜日

2018年3月14日(水)

誰かの水曜日へ

人生をかえるような言葉ってありますか。
人生をかえるようなっていうとおおげさだけど、なんとなく、ず〜っとおぼえていて忘れられない“ことば”ってある。

小さいころ、ボクには兄貴が居るんだけど、その兄貴と家でピアノを弾いていた。
たぶんボクが4才くらい(このくらいの記憶ってあいまいだから、本トのところは分からないけど...)なので、兄貴は6才くらいだったと思う。

2人で交互にピアノをひいていて、ボクは自分のひくピアノを母にきかせたくて何度も母に「今のきこえた!?」って言いにいっていた。
そんなボクをみて兄貴はうっとおしかったのか「お前は誰のためにピアノひいてるんだ!」と怒った。
でもボクとしては、ピアノをひくことイコール母をよころこばせることだったし、上手だって認めてもらうことだったから、兄貴が何を怒っているのか全く分からなかった。

確かに、今おもえば兄貴はきっと“自分がひきたいからひく”ということだけだったから、きっとボクのことを理解できなかったんだとおもう。

そのときのことをずっとおぼえているのは、今ボクがデザイナーという商売をしていて、「誰かのために」何かをするために生きているのに対して、兄貴は研究者として何の役に立つかは分からないが宇宙の心理を追い求めているからだろう。

そういう人間性なのが原因か、もう一つ忘れられない言葉がある。

ある先輩デザイナー(この人は凄腕の売れっ子で、会社を代表する人)と、一緒にある案件にとりくんでいた。
このときのクライアントが、とってもキビしい人で、なかなか内容がきまらず、あせっていたんです。
一緒に新幹線にのったときに(打ち合わせに向かう電車)先輩に提案をみてもらったときに、ボクが「この内容で説得できるか... いや、説得してみせます」と言ったとき、いつも優しい先輩がきびしめに「説得するんじゃなくて、納得してもらうんだ」と言った。

だんだんと、自分の都合のいいようにモノゴトを決めてしまっていたとおもいしらされたんです。
その先輩は旅館のリニューアルをたのまれて見にいったら、リニューアルなんかするよりとにかくみんなで掃除して、よけいなものをおかず、せいけつにすることが一番大事だとアドバイスだけして帰ってくるという強者でした。
(※ 結局、その旅館は何千万もつかうはずだったリニューアルをヤメた)

その先輩は一昨年事故で亡くなったのだけれど、その言葉は新幹線の風景と合わせて今でもよくおぼえている。

最後に、その先輩からもらった大切な一言をかいて筆をおきます。

『楽しいことを考えるには、楽しんでデザインしないとだめなんだ。だから、おれたちは楽しんでいこう。よろしく』


【筆名:ロージー 年齢:32 都道府県:埼玉】

2018年3月7日水曜日

2018年3月7日(水)

前略 今日で阪神淡路大震災から23年が経ったようです。
京都で大学生活を送っていた私は、今東京で夫と娘と息子とおだやかに暮らしています。
無事を知らせるためにかけた電話器の色と形、割れてしまった手作りの小さなワイングラス、ニュースを流していたブラウン管のテレビを今でもはっきり覚えています。
でも、当日から始まるはずだった試験がそのあとどうなったのか、結局大阪の実家には帰ったのか、余震などにおびえたのか... 続いた日常のことは覚えていません。
混乱は毎日続くと変わりばえのしない日常になってしまうのかもしれません。
あるいはその程度の混乱だったのでしょうか。
震災の記事を新聞で読みながら当時や今や他の地震災害のことをあれこれ考えました。

久しぶりに強い雨が降っています。子どもたちを保育園に迎えに行かなくてはなりません。
早く可愛い子どもたちに会いたい!と思うことはありません。
でもそれは、一緒に帰宅し、夕食を共にし、お風呂に入れて寝かしつけるのが日常になっているからですね。

かけがえのない日常を水曜日にちょっと見直してみるのもいいかもしれません。

【筆名:田辺ゆう 年齢:43 都道府県:東京】